死にたいと思ったことがあるだろうか?
現代社会を生きる多くの人が、老若男女問わず、一度は抱えるであろう希死念慮。一見、成功者である大谷翔平と結びつけるのは難しいかもしれません。しかし、理想と現実のギャップが生み出す苦しみは、彼にとっても例外ではないのです。
希死念慮は悪いことなのか?
死にたいと思うことは、決して悪いことではありません。むしろ、理想と現実のギャップに苦しむ人間の自然な感情と言えるのではないでしょうか。重要なのは、その感情とどのように向き合っていくのかです。
希死念慮は「消えたい」という願い
希死念慮は、表面上は「死にたい」という思いとして現れますが、その根底にあるのは「今の自分自身を消したい」という願いです。適応障害で苦しんだ筆者自身も、社会人としての理想と現実のギャップに押しつぶされ、希死念慮を抱えた経験があります。
願いと死にたさ
希死念慮は、実は誰もが叶えることができる「願い」です。なぜなら、人間は必ず死ぬからです。しかし、「いますぐ叶えたい」という強い思いは、逆にその願いを難しくしてしまうこともあります。
大谷翔平も悩む?理想と現実のギャップ
大谷翔平のような成功者であっても、理想と現実のギャップに苦しむことはあります。むしろ、常人離れした彼が持つ理想は大きく、そのギャップはより大きく感じられるかもしれません。
我々の何気ない日常の願いの方が遥かに難しい
我々の願いとして、みんな平和で暮らしたいとか、争い事なくとか、なにもせずにお金がほしいとか、もしくな苦手なことだけどできるようになりたいとか、苦手だけどすぐにできるようになりたいとか、だったりする。
でもこの願いは実は大谷翔平の願いより遥かに難しい難易度が高い願いだと思う。
理想と現実のギャップ
人間は生まれながらにして、不平等である。理想と現実のギャップとあるが、
私の現在な能力と大谷翔平の能力には大きな差がある。私の方が野球の能力は圧倒的に下である。努力も含めてすべてしたであろう
出発点が違うのだ。
また理想も私の方が遥かに遠いと言っていいのだろう。苦手なことを得意になろうとするなんて、それは結局大谷翔平より野球でうまくなりたいと言ってるようなもので、彼よりも能力が低く、彼の理想よりも遠い理想を追いかけたら、そのギャップは大きすぎて、それは死にたくもなるだろう。
さらにはその道筋を彼はプロの指導を受けながら、山道やら海やらを超えて理想に向かうが、私はひとりで行こうとするのだから、どう天地がひっくり返っても私の方が無謀であり、そりゃ希死念慮がわくのも当然である。
希死念慮との向き合い方
希死念慮を克服するためには、以下の3つのステップが有効です。
- 理想と現実のギャップを認識する
- 理想を再設定する
- 現実を着実に歩む
現在の出発点を知ること。そしてギャップがあることを知ることである。理想の遠さがあったとしても、細分化して、今日できたこと、今日の疲れがしっかりとること、それで十分である。
その途中で理想を変えたかったら、変えればいい。理想が高すぎて死にたくなるなら、それは変えたらいい。いまの自分が前に進みたくなるような願いに変えたらいいのだ。ある人は歴史に名が残る建造物を作りたいというのが理想かもしれないけど、ある人は今日の夜にケーキを食べることが理想かもしれない。どっちも結局何してるかと言ったら、いまの自分に力を与えてくれる理想を設定しているだけなのだ。
そして、力をもらって1日一歩を勇気をもって自身をもって踏み出すことである。
なにも難しいことはない。
私と大谷翔平はなにも変わらないのである。
理想も希死念慮もしっかり時間をかけて叶える
希死念慮は、決して否定すべきものではありません。むしろ、自分自身と向き合い、理想と現実のギャップを乗り越えるための貴重な機会と捉えましょう。理想も希死念慮もしっかり時間をかけて叶えていくことで、自分らしい生き方を見つけていくことができるのです。
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