量子力学的身体論の考え方

量子

人間の体は不思議である

構造として精密である。暑ければ汗をかき、寒ければ汗腺を閉じ、温度調整を自動で行う。機械的な視点に立つと、高度なエアコンであったり、目においても高度なカメラであったりする。

一方で、構造以上の存在でもある。誰かを愛し、誰かを憎んだりする。
また、チームで行動し、感動を与えてくれる。
かといって同じようにみんな感動するかと思えば、一人ひとりの反応が大きく違う。個性がある。

上記のようなもの以上の存在であるのでは?という疑問をもとに以下のような視点で考えていく。

 

身体論とは

身体論とは、物質的な存在である人間の身体についての哲学的な理論や考え方を指します。身体論の基礎は、人間の身体がどのように機能し、どのように世界と相互作用するかに関する考察にあります。

身体論の中心的な概念の1つは、身体と精神の関係です。一部の身体論者は、身体と精神を分離する二元論を支持し、身体と精神は異なる実体であると考えます。一方、他の身体論者は、身体と精神を統合する単元論を支持し、身体と精神は密接に関連しており、互いに影響しあうと考えます。

また、身体論の基礎には、身体の自己認識と自己把握の問題も含まれます。身体を通じて、人間は自己と世界との関係を理解し、自己の存在を確認することができます。

さらに、身体論には、身体が持つ倫理的価値や人間の尊厳に関する問題も含まれます。身体は、人間の自己実現や倫理的な決定に重要な役割を果たすとされています。

以上のように、身体論の基礎は、身体と精神の関係や身体の自己認識と自己把握、身体の倫理的価値など、人間の身体に関する哲学的な問いかけにあります。

感動を起こす人たち(大谷翔平や井上尚弥)が物質的な存在としてだけ語るにはあまりにも味気ない。多くの感動を人に与えてくれている。レゴブロックのように原子を積み重ねたただのおもちゃではない。

身体と精神はつながっているのではないか、さらには人と人とのつながりを説明できる方便はないかを考えています。

量子力学的な観点を加えたら?

量子力学とは電子や光子などの非常にミクロな世界の中では、不思議と感じる現象が起こる。壁を通り抜けたり、一つのものが同時に異なる場所に同時に存在していたりする。

さらには観測することによって観測する前と観測した後で状態が異なっている。

直感では理解しがたいところもあるが、人間も同じように生きていること自体が不思議である。少しでも何かのヒントになればと思い以下のような分野を考えていきたい。

量子力学的身体論

身体論を量子力学の観点から考察すると、身体は微小な粒子から構成され、物質とエネルギーの相互変換が起こっているという観点が重要となります。量子力学の観点では、身体は固定された物体ではなく、粒子が波動として振る舞い、確率的な運動をすることができると考えられています。

また、量子力学においては、観測者の存在が物質の挙動に影響を与えるという不思議な現象があります。このことから、身体論においても、身体は単なる物質的な存在ではなく、意識や精神の存在と密接に関連しているという考え方が生まれることができます。

さらに、量子力学の観点からは、身体と世界との相互作用や自己認識と自己把握の問題にも新しい視点をもたらすことができます。例えば、身体の微小な粒子の運動や相互作用が、外部の環境や他の物質との相互作用に影響を与えることが考えられます。

したがって、身体論を量子力学の観点から考察すると、身体は確率的な運動をする微小な粒子から構成され、意識や精神と密接に関連しているという考え方が重要となります。また、身体と世界や他の物質との相互作用についても、新たな視点がもたらされることがあるでしょう。

新しい情報を更新していければと思います。

以下に直近の楽しい実験や体験を生かし、生きるための工夫を集めています。

量子力学的身体論
量子力学的身体論とは何か、人間の意識との関係性を探求する学問や哲学的思考を紹介。量子論の解釈や思考実験についても触れています。

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