無意識に人を傷つける

犬の背中 安心

日常で人の親切に気づかず、いらいらさせる人いますよね。
その人がなんでイライラしているのか少し考えてみることも一つの方法です。
サラリーマン生活していると様々なことに合いますが、相手の中に何かしら嘘か本当かわからないにしてもこうかなと思えると気が楽になります。
その一例を考えてみました。アンガーマネジメント一例としてお楽しみください。

職場(心地のいい朝)

(コピー機にわすれもの!)
コピー機に印刷したものあります

(おれ、おれ)
※手をあげる

はい!

(・・・)

※黙ってうけとる

(えっ、何こいつ)

こんな話を妻から聞いた。

朝からそんな態度をとるなんて信じられないけど、
女性に対する扱いとしてひどいと思う。

でもなんでそんな態度をとるのか?

  • 家でうまくいっていないのか?
  • 人にやさしくすることを損と思っているのか?
  • 女性に対する扱いが無意識に低いのか?

無意識に人を傷つける

人はコミュニケーションをする。こんな話を聞いたことがある

「コミュニケーションをするというが、誰かが話しているときは誰かが聞き、そして今度は別の人が話をしてそれを聞く。それがコミュニケーションのように思うかもしれないが、それは違うよ」

えっ?

「コミュニケーションはお互いにしゃべっているんだ。お互い好き放題しゃべっている」

お互いしゃべったら聞こえないじゃないですか?

「人は話すこともそうだけど、聞くことも聞きたいものを聞いている。いや、あまりその人が期待するものを聞いているわけではなく、脳が勝手に自動抽出、自動選択をしている。そして自分の脳の中にバーチャルリアリティを作ってそこで過ごしているんだ」

・・・深すぎる。。。

 

たしかに上記のことは最近よく考えることである。たとえ、同じ家庭や同じ学校や同じ出来事が起きても受け取り方は人それぞれである。学校の先生が教壇に立って怒ってもある人はショックを受け、ある人はあきれたり、ある人はおかしがったり、驚くぐらい人の受け取り方は人それぞれである。

そしてまた人は上記のように声に出さなくても、いろんな情報を自ら発している。相手を嫌がらそうとしているわけでもないけど、その人の何がない仕草が、「ときめかせたり」「喜ばせたり」「ショックを与えたり」それぞれである。

 

あとはどう相手に気づかせるかも大事かな。

「人は変わらない」

きっとそうだろう。

ただ一方で、人は社会の中で生きる動物である。社会の中から完全に外れて生きられる人はほとんどいないだろう。例えば離れていても誰かはその人のことを思う限りは社会の中にいると考えてもよいのではと、私は思う。

その社会の中で生きる限りは、この「人は変わらない」という大きな壁に向かい合うことは必要なことだと思う。

そこにチャレンジして、色々経験し、生きていけばよいと思う。あまり効果を期待したりもせず、ただただチャレンジすることが大事だと思う。

 

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